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■オリジナル作品:「百花深処 I」(目次

「百花深処」 <雨過天青>

 『足利義政』ドナルド・キーン著(中央公論新社)を読んでいたら、口絵に青磁茶碗「銘馬蝗絆」の写真があった。この茶碗は去年、東京国立近代美術館工芸館開催の「青磁のいま」展に出品されていた。「南宋時代の龍泉窯青磁の優品である。美しい粉青色で艶のある釉色、口径のわりに小振りな高台のため、全体に緊張感のある端正な印象をもたせる。高台周りに生じたひび割れを鉄の鎹で留めて修復している。その様子が馬の背中にとまった蝗(こおろぎ)のような趣があるとして、この銘がついたとされる。室町幕府八代将軍の足利義政(1435〜90)が愛蔵し、その侍医であった吉田宗臨に下賜され、京都の角倉家を経て、室町三井家が所蔵していた」と作品リストにある。私は昔からなぜか青磁が好きだ。姉妹サイト・ブログ『夜間飛行』のURLに青磁(celadon)という言葉を入れる程、「雨過天青雲破処」と詠われたその色に心惹かれる。

 キーン氏の『足利義政』を書架から抜き出したのは、最近出た『うるわしき戦後日本』ドナルド・キーン・堤清二(辻井喬)共著(PHP新書)という対談本を読んだからだ。室町時代、特に東山文化の頃、いまの日本人の生活スタイルの基盤ができたとキーン氏は指摘する。わび・さびといった美意識から、花道・茶道・能楽・連歌といった芸能、書院造りや日本庭園、味噌、醤油、豆腐といった和食に至るまで、その基礎ができたのは室町時代に遡るという。戦国武将前田利家が築城とまちづくりを行なった金沢を旅し、中世への興味が湧いたことも、この本を読もうと思った理由である。この時代をより深く知ることで、これからの日本を考えるヒントが得られるのではないか。『うるわしき戦後日本』のなかでキーン氏は、応仁の乱後の東山文化と、三島由紀夫や吉田健一などが活躍した戦後文化との類似性を述べておられる。そうだとすると室町のあとは戦国・群雄割拠の時代だから、これからの日本は地域・群雄割拠の時代を向かえることになるのだろうか、などと考えながら『足利義政』を読み終えた。

 青磁の話に戻ろう。ブログ『夜間飛行』「竜神伝説」の項で紹介した梨木香歩さんの『家守綺譚』という小説の中に、床の間の掛け軸から抜け出してくる、主人公綿貫征四郎の親友で学生時代に亡くなった高堂という人物がいる。征四郎は高堂に導かれるようにして様々な事に出会う。不思議な仕掛けだなと思って読んでいたのだが、<小説『金沢』について>の項で紹介した吉田健一の本『金沢』にも、掛け軸から女(顧ト之の女)が抜け出してきたり、主人公が掛け軸の世界に入り込んだりする描写があった。その重なりが面白かったので、二人の作品にさらに共通するものがないか探すと、<アフリカ的小説>の項で紹介した梨木さんの『ピスタチオ』の中に、『金沢』で主人公が愛でる器と同じ種類の猪口が出てくることを発見した。それがなんと青磁なのだ。その描写をそれぞれ『ピスタチオ』(ちくま文庫)、『金沢|酒宴』(講談社文芸文庫)から引用しよう。

(引用開始)

 窓を開けていると、桜の花びらが団体で室内に入ってくる。マース(主人公の愛犬)の黒い鼻先にもそのうちの一枚がついて、寄り目になってそれを取ろうと四苦八苦していた。透き通るような薄い青磁の猪口に冷酒を注いで、花吹雪の中、昼間からベランダで少しくつろぐ。横に寝そべるマースの背中にも花びらが降り積む。夕刻になれば、桜が濃淡の紫の闇に溶け込んでいく。その刻々と変化していく様もまた、見逃しがたい。そして月の光に映え、蒼ざめた桜のすさまじくさえ見える深夜。

(引用終了)
<『ピスタチオ』107ページ。フリガナ省略、括弧内は引用者の註>

(引用開始)

 それが宗の青磁であることは内山(主人公)にも解った。そして青磁と言ってもその色がその名器毎に違っていると思った方がいいことも知っていたが、その湯飲みを少し大きくした位の形は淡水が深くなっている所の翡翠の色をしていて寧ろそういう水溜りがそこにある感じだった。それを手に取ってみるとその底に紅が浮かんでいた。そうとでも言う他なくて、それはその紅に水を染めるものが底に沈んでいるのでもよかったが何かがそこにあってその辺が黒に近い緑色でなくて紫に類する紅になっていることは確かだった。

(引用終了)
<『金沢|酒宴』27−28ページ。フリガナ省略、括弧内は引用者の註>

 青磁と桜と紅、紫の闇(!)。前者の主人公棚は女性、後者内山は男性だから、金沢でいえば、浅野川(女性性)と犀川(男性性)という二つの回転時空構造の重なるところ、求心力と遠心力とが釣り合うところに、書院の掛け軸や青磁の器を含め中世にその基礎ができた日本文化の豊饒な世界が広がっていて、我々は日本語を通し、あるときは浅野川の川縁から、あるときは犀川の畔から、その世界を味わうことができるという寸法だ。その対比の拮抗と相乗は、室町の金閣と銀閣から、東照宮と桂離宮、歌舞伎と能、一葉と鴎外、<日本の女子力と父性について>で紹介した『33年後のなんとなく、クリスタル』における由利とヤスオにまで繋がっている話だろう。キーン氏が帰化してまでも惚れ込んだ日本文化の伝統がここにあると思う。尚、『ピスタチオ』で青磁が出来てくるのはここ一ヶ所、『金沢』ではこのあと度々登場する。

 ところで、東京国立近代美術館工芸館の「青磁のいま」展会場で私も青磁の器を一つ買い求めた。福島善三氏作の杯で、箱には「中野月白瓷器」とある。中野は福島氏の窯のある福岡県朝倉郡の地名だという。月白瓷と名付けられた乳白色に青みがかった色合いの釉色と、縁取りの茶褐色胎土とのコントラストが美しく力強い。最近この杯で各地の冷酒を飲むのが夕食時の愉しみとなっている。「青磁」と「青瓷」の違いは、素地(胎土)に磁土を用いたものを「青磁」、陶土を用いたものを「青瓷」と呼び習わすようだ。したがって青磁には、磁器の青磁と陶器の青瓷の二種類があることになる。

 「青磁のいま」展は、日本に伝わった中国・南宋時代の名品から日本の陶芸家の作品、若手作家のものまで、100点以上展示された。今年(2015年)、兵庫陶芸美術館(3月7日〜5月24日)、静岡市美術館(6月13日〜8月16日)、山口県立萩美術館・浦上記念館(10月10日〜11月29日)へ巡回されるという。青磁に興味のある方は、機会をつくって是非訪れてみて戴きたい。
「百花深処」 <雨過天青>(2015年01月14日公開) |目次コメント(0)

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