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■オリジナル作品:「百花深処」(目次

「百花深処」 <迷宮と螺旋>

 前回<小説『金沢』について>の項で、鏡花の女性的な迷宮世界と、吉田健一の男性的なユートピア世界とは、共に同じ「回転時空構造」を持ちながらどこが違うのだろうと書いたけれど、今回はこのことについて考えを進めたい。

 『禅とは何か』鈴木大拙著(角川ソフィア文庫)の末木文美士氏の解説から、この本(講義の記録)の構造について説明した部分を引用する。

(引用開始)

 第一回(「宗教としての禅」全五講義)、第二回(「仏教に於ける全の位置」全五講義)と分かれているのは、恐らく始めから全十講という予定ではなく、一年五回で完結する講義を二回行なったということであろう。それ故、本書を読む場合も、このことに注意するする必要がある。第一回全五講で、宗教経験という一般的なところから話し始めて、仏教へと進み、禅へと収束して一サイクル終わり、もう一度第二回は宗教経験ということに戻って、またそこから仏教→禅へと展開していく。もちろん、同じことを繰り返すわけではなく、第二回は第一回を前提にしながら、それを深めていくことになる。いわば、直線的に一気に高みへと連れて行くのではなく、ゆっくりと螺旋階段を上るように進んでいくので、ぐるっと一回りして、また同じような情景に戻ってきたのかと思うと、実ははるか高いところまで進んでいて、下を見下ろして「あれっ」と驚くことになる。

(引用終了)
<同書 259ページ。フリガナ省略、括弧内は引用者による補足>

ここに螺旋階段の比喩がでてくる。吉田健一の『金沢』も、それぞれの場所の小宇宙が最後に同期集合し大宇宙となって終わるという、大拙の本と似た構造を持っていた。それはどちらも螺旋的な「回転時空」である。

 『ヨーロッパの形』篠田知和基著(八坂書房)によると、ヨーロッパの精神は渦巻きにあるという。エデンの園の蛇の絡まる木、教会の螺旋階段、衣食住の生活文化に見られる渦巻き模様など、ヨーロッパの文化は螺旋形に満ちている。ブログ『夜間飛行』「黄金比と白銀比」の項で述べたように、西洋のダイナミックな螺旋は外へ向かって拡大する。抽象的な高みへ飛翔する。しかし、日本の白銀比に基づく茶室は静的で外へ出て行こうとしない。禅における反転法、小説『金沢』における回転は、けっして抽象的な高みへと飛翔し続けない。その螺旋運動は、あくまでも正方形の茶室、あるいは犀川の畔といった固有の場所・環境における、視座・位相の変化(うっちゃり)に留まる。悟り、隠遁といった小乗的な精神性だ。これは、

弁証法:正・反・合による進展
反転法:正・反の反転

の違いとも整合していると思う。鈴木大拙も吉田健一も西洋に長く暮らしその精神性を充分吸収した上で日本へ戻り、日本の伝統に深く思いを致しながら、その悟りを、その隠遁を、自らの精神性、合理性の砦としたに違いない。

 一方、鏡花の迷宮の方はどうだろう。こちらは、<出口なき迷宮>の項で書いたように、「子宮願望のような、内に収斂してゆく回転」だ。吉田の男性的なユートピア世界と比較してみると、同じ回転であっても、後者は遠心的な螺旋運動であるのに対して、前者は求心的な回転運動、といった違いを見出すことが出来る。遠心力は相転移を促し、求心力はもっぱらそこに起るコトへの集中を齎す。女性的な鏡花の小説世界と、反転同居の悟りを齎す茶室的禅の世界、この二つの回転時空構造は、求心力による「集中」と、遠心力による「相転移」(ただし小乗的)という違いを孕みながら、併せて日本文化を形造ってきたといえるだろう。

 『日本文化の基本形○△□』篠田知和基著(八坂書房)によると、日本の形は西洋の螺旋のように定まったものはなく、アモルフ(不定形)にその特徴があるという。それは、同じ螺旋運動であっても、西洋のダイナミックな螺旋がどこまでも継続的に進展するのに対して、日本の螺旋運動は与えられた環境から離れず、いろいろな場所で並列的に相転移を起こすからなのかもしれない。
「百花深処」 <迷宮と螺旋>(2015年01月04日公開) |目次コメント(0)

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