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■オリジナル作品:「百花深処」(目次

「百花深処」 <日本の女子力と父性について>

 『33年後のなんとなく、クリスタル』田中康夫著(河出書房新社)を読んだ。この作品は、雑誌「文藝」に(2013年冬号から2014年冬号まで)5回に亘って連載された本文に、人口予測の表など6つ、前著『なんとなく、クリスタル』(1981年1月刊)から再録された当時の人口予測の表2つ、本文に付けられた69ページ分の膨大な註、の三項目が追加され、2014年11月30日付で出版された。人口予測の表などは前著同様、註ではなく小説本文の一部となっている。

 『33年後〜』は、田中康夫氏本人と思しき「ヤスオ」が、前著の登場人物たちと33年の年月を経て邂逅する、というスタイルを採っている。内容は勿論フィクションだが、「ヤスオ」が登場することで、田中氏自身の作家時代、阪神・淡路大震災、長野県知事や国会議員時代、そして今の生活が概ねありのままに描かれる。この虚実の入り混じり方が、小説の一つの味わいとなっている。すなわち読者は、1981年から今日までの33年間を、作者と共に実感を伴って「ああ、そういうことがあったな」「それは知らなかった」などと回想し、愛犬ロッタの登場などを読んで「へえ、彼は今こんな生活をしているんだ、あそこにあんなレストランがあるんだ」などとその好奇心を満たすことが出来る仕組みになっている。膨大な註が付いたことで、回想と今がより深く分るようになった。

 ここに描かれる日本の33年間は、戦後経済復興を終えてバブル時代に入る時期から、バブルの崩壊、失われた10年、さらにその後の不況時代、そして3.11以降をカバーしている。この33年間の前に、戦後の36年間がある。先日ブログ『夜間飛行』「国家理念の実現」の項で、『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』矢部宏治著(集英社インターナショナル)という本によって、戦後日本国の国家権力構造の変遷を、

戦後@(昭和後期):天皇米軍+官僚+自民党
戦後A(平成期):米軍+官僚

と纏めたが、『33年後〜』は、このうち戦後@(昭和後期)の後半と戦後A(平成期)をカバーしている。この小説は、回想と今を巡るエンターテインメント性と共に、時代を顧みてこれからの日本国のあるべき姿を鋭く問う内容ともなっている。

 戦後@、戦後Aを通じてもっとも明白なのは、日本国民の間の「父性の不在」だろう。ここでいう父性とは国家(国民の居場所・機構)統治能力、国家権力構造を担う能力を指している。日本国民は戦後、それを他(天皇・米軍・官僚)に任せて(奪われて)きた。戦後@の前半は、それでも戦争から復帰した男たちが多くいて経済復興に注力したので、父性不在の問題は背後に隠れていたが、前著『なんとなく、クリスタル』が書かれた1981年前後、経済復興が一段落しバブル期に入ったあたりから、国家統治能力の不在が顕然化してきたと思う。

 「父性の不在」とは反対に、戦後@、戦後Aを通じて強くなったのは女子力だろう。男性性(父性)と女性性(女子力)、この二つの対比の詳細については、『複眼主義』などによって理解していただきたいが、エッセンスとしては、

A 主格中心−所有原理−男性性
B 環境中心−関係原理−女性性

ということで、この二つは人や社会において互いに均衡すべき要素である。一般的に、片方を閑却すればもう一方が強まる。日本の戦後のように父性を閑却すれば、女性性が強まる。今の日本では(夫の座る)床の間よりも(妻の働く)ダイニング・キッチンが家の中心に位置している。

 地球の環境破壊が進み、世界で「所有原理」同士がいがみ合うなかで、日本人の「女性性能力」は、おそらく日本が世界に輸出できる最大の資産かもしれない。『33年後〜』で力強く生きるのは、由利、直美、早苗、江美子、メグミ(それにロッタ)といった女性性をメインにしたキャラクターたちだ。ヤスオもその気配り上手な女性性能力があるから女子会でも如才なく振舞うことができ、由利とも話が合う。

 21世紀は、“モノからコトへ”のパラダイム・シフト(略してモノコト・シフト)の時代だと思う。それは、20世紀の大量生産システムと人の過剰な財欲による「行き過ぎた資本主義」への反省として、また、科学の還元主義的思考による「モノ信仰」の行き詰まりに対する新しい枠組みとして生まれた、(動きの見えないモノよりも)動きのあるコトを大切にする生き方、考え方への関心の高まりを指す。そういう時代こそ、関係原理に秀でた日本の女性性能力の出番なのだ。

 とはいえ、日本国民の「父性の不在」をこのまま閑却しておいて良い筈はない。日本国という国民の「居場所と機構」はこのままいけば外国の「所有原理」に踏みにじられ、肝心の「女性性」さえ守れないことになり兼ねない。『33年後〜』で、作者がヤスオを(由利に導かれるようにして)光に向かって歩み出そうとさせるのは、「父性の回復」宣言なのだと思う。そのメッセージは、田中氏自身が長野県知事や国会議員時代を通して行なってきた公的活動と重なる。「出来る時に出来る事を出来る人が出来る限り」、「微力だけど無力じゃない」といったメッセージは、21世紀のしなやかな父性のあり方を示している。これからの日本国のあるべき姿を鋭く問う内容、というのはこのことだ。

 前著では、主人公由利が、表参道の上り坂を走り去るところで終わるが、『33年後〜』では、主人公ヤスオが、表参道と青山通りの交差点で雨上がりの光に向かって歩みだすところで終わる。由利にもヤスオにも、上り坂と下り坂、日没(誰そ彼どき)と日出(彼は誰どき)の人生があり、由利は33年後、ようやく「たとえ前が見えなくたって、ゆっくりと手探りで前に進めると思うの」という境地に辿り着く。由利はふたたび上り坂を走り始めるのだ。ヤスオもまた、由利に導かれるようにして、光に向かって歩み出そうとする。明示的ではないが、たぶん「日本は日没といわれるが、それはまた次の日出に繋がっているのではないのか」と思いながら。

 この小説、由利が日本の女性性の象徴だとすれば、光に向かって歩みだすヤスオは長く不在だった日本の「父性」の象徴なのだ。モノコト・シフトの時代、おそらく日本の父性の役割は、由利(に象徴される日本の女性性)の活動を世界規模で助けることだろう。その意味で、ヤスオの表参道への歩み出しを応援し行動を共にしたいと思う。

 もう一つ、前回<アフリカ的小説>で、これからの日本人はアフリカ的なるものを魂の深いレベルで感受すべきと書いたけれど、由利のアフリカ行きはそのことを反映しているのかもしれない。
「百花深処」 <日本の女子力と父性について>(2014年12月11日公開) |目次コメント(0)

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