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■オリジナル作品:「百花深処 I」(目次

「百花深処」 <自然の力>

 私はあの日、クマが建屋に現れたあの時から、桂子と一緒に暮らしたいと真剣に考えるようになった。それまではどちらかというと遊び心の方が勝っていた。彼女と付き合い始めてから半年ほど経っていたから、それまでも一緒に暮らしたいと思わなかった訳ではないが、なにかを強く思うにはきっかけというものがある。私の場合、クマの出没がそれだった。

 春のまだ浅い日の午後、車でやってきた桂子が私の家の前でヒグマと遭遇したのだ。彼女の鳴らすクラクションの音に嫌気がさしたのかクマは裏山へ去ったけれど、桂子はよほど怖かったのだろう、私を見るとしがみつき、声をあげて泣いた。私はそのとき「この女性を守らなければ」と思った。

 桂子と出会うまでの私は、なかば隠遁したような生活をしていた。北海道のこの安地内という小さな村で、小型の水力発電装置(フランシスと呼ぶ)の保守管理を行ないながら。

 私の生きがいは「音」を集めることだった。ホテルのレセプションの客とフロント係とのやり取り、競馬場の馬たちの蹄の音、ロケットの発射音、高原に響きわたる虫の音、イスラム殉教者たちの祈りの声など、私は世界中を歩き、様々な「音」を収集した。その音をCDに焼いて高級アンプとスピーカーで再現する。いい「音」の再現には純度の高い電気が必要だ。発電所から直接電気を引けば高純度の電気が得られる。

 私がこの仕事を買って出た理由はいい「音」の為だけではなかった。この小さな発電所は父が経営する寺富野電業の支社でもあった。本社は隣町にある。母は私が小学生の時に死んだ。私には子がなく妻とは別居していた。父は継母との間に生まれた弟に社業を継がせようとしていた。だから私は本社を離れる必要があった。

 フランシスは、これまで案地内のすべての戸数の電力をまかなってきた。ここは人口約八百人の小さな村だ。小さな水力発電所で地元の電力をまかなう、それも私がこの仕事を選んだ動機の一つだ。地球の環境破壊が進む今の時代、電力を大量生産・輸送・消費するよりも、こうして電力の地産地消を進めることの方が大切なのではないかと思う。

 朝昼晩、決まった時刻にフランシスのメンテナンスを行なう。気に入った女性と一緒に時を過ごす。音楽を聴く。世界の「音」を聴く。料理を作る。私はそういう生活に満足していたが、しかしそれはやはり隠遁でしかなかった。私には生活への意欲が欠けていた。

 桂子は普段、素直で優しかった。ベッドでは繊細でときに可憐だった。私は彼女を愛した。彼女が私の前に現れたのは奇跡だった。離れたくなかった。そしてあのクマが現れた日を境にすべてが変わった。私の中に生活への意欲が生まれた。桂子の存在が私に力を与えたのだ。私はそれまで付き合っていた由美子と手を切り、隣町に住む妻との離婚話を進めた。桂子を伴って隣町を訪れた。私は案地内村に骨を埋める決心をした。

 そしてその日が来た。秋、離婚調停が始まろうとする矢先、大型の台風が安地内を襲ったのだ。その夜の洪水で、フランシスが川に沈んだ。私はすべてを失った。

 「でも、大丈夫よ」フランシスを失った夜、桂子はそういって私を慰めてくれた。なにが大丈夫なんだ、とため息をつく私に、彼女は「だって、わたしとあなたはここにいる」といった。桂子を守るなどと考えていた私は愚かだった。実は、私の方が彼女に守られていたのだった。そのことへの気付きは、私の生活への意欲をさらに強めた。

 数日後、川の水が引いた。幸い母屋への浸水は軽度だった。私はフランシスを再稼動させようと思う。一度水に浸った機械類、とくに電気系統は全面的な改修が必要だが、父と相談し、銀行から借金をしてでも直す。

 離婚調停が終われば桂子と一緒にここで暮らしたい。勿論、彼女の同意が得られればの話だが。そして案地内のすべての戸数に電力を供給し続けたい。苦労も多いだろうが、それは男子一生の仕事足り得ると思う。今、いい「音」はこの周りの生活音だけで充分なような気がしている。

 あの春浅の日、クマが現れなければどうなっていただろうか。もしかすると今も彼女と中途半端な関係を続けていたかもしれない。桂子と暮らしたいという気持ちはその前から兆していたが、クマの出現によって一気に私の意識の水面に上ったのだ。だから私はあのヒグマに感謝しなければならない。自然の力というべきか。あのヒグマは今頃どうしているだろう。秋もそろそろ終わる。もう長い冬眠に入っただろうか。

<『沈むフランシス』松家仁之著(新潮社)を読んで(註)>

(註)この夏休みに本書を読んだ。この作品は主人公橅養(むよう)桂子からの視点が中心で、相手の寺富野和彦の感情描写はほとんどない。勿論、それは作家の意図するところに違いない(そして作品としてはそれでよい)が、読む方としてはいろいろと想像が広がった。そこで、寺富野和彦の視点からその心象と思えるフィクションをスケッチしてみた。これをもってこの素敵な本の書評に代えたい。
「百花深処」 <自然の力>(2014年11月12日公開) |目次コメント(0)

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