郡斎従此後
誰伴白頭翁
白居易
京都は奥嵯峨の山中、人通りも滅多にないところに小さな庵があった。敗戦後幾らも経ないある年の暮れのこと、その庵に一通の遺書が届けられた。遺書を受け取ったのは、庵に住む白髪の老翁である。名は川井地三郎、今は隠居の身だが、以前四条近くで櫛職人として働いていた。
届けられた遺書は翁の孫娘の許婚のもので、封筒には東京の某元大尉からの手紙が添えられていた。地三郎は囲炉裏の前に座ると「遺書」と書かれた二つ折りの紙を脇に置き、まず手紙を読んだ。「小生戦時中陸軍第十四方面軍に属し、戦火激しき折、配下木下直人二等兵の遺書を預かりました。木下二等兵は敵の砲弾を受け戦死、小生は恥ずかしながら敗残兵として帰国しました。その後、方々手を尽くして木下君の御遺族を探しましたが見付ける事叶わず、この度許婚知恵殿のご尊祖父の居場所を知り、此処に木下君の遺書同封の上お送りさせて戴きたく云々」とあった。
翁の孫娘知恵は、木下青年と結婚の約束を交わしたものの、ある事件で戦時中に死亡した。知恵の両親、すなわち地三郎の息子夫婦は関東大震災の折に焼死、残された当時まだ小さかった知恵は、京都に住む祖父地三郎に引き取られた。地三郎も早くに妻を亡くしていた。知恵は壮年の男手一つで育てられたせいか性格が男勝りで、当時人々はあの事件もそれが災いしたのだろうと噂したものだ。
地三郎は手紙を置いて遺書を開いた。中にはうすい鉛筆で次のように記してあった。
我オクレテ父母、知恵のモトニ行カム。
七生報国天皇陛下バンザイ。
日本陸軍第十六師団歩兵第七聯隊二等兵木下直人
粗末な紙に書かれた簡単な遺書だった。
青年の両親は京都、大原で百姓をしていたが、まだ息子が小さい時に相次いで病死した。直人少年は錦市場近くの卸問屋丸藤に丁稚として奉公に出た。知恵が直人青年と知り合ったのは、彼女が賄いとして働き始めた祇園の宿屋が丸藤と取引があったからだ。二人は正式な結納を交わした訳ではなかったが、やがて結婚を約束する仲になった。
事件が起きたのは、青年に赤紙が来てからのことである。丸藤の主人は戦争に肩入れし、軍の日用品物資の卸を手がけ大陸にも人を送り出していたから、家の丁稚が兵隊としてお国の為に役立つことを喜んだ。一方知恵は、宿屋に泊まる客から戦争の危機的状況を聞いていたので、青年が戦死することを危ぶんだ。兵役を逃れる方法がないものか地三郎に相談もした。しかし、特に案もないまま召集の日が近づく。彼女は青年を説得し二人で京都から逃げることを選んだ。しかし逃亡の夜、青年は丸藤の主人に見つかり引き留められ、知恵だけが山で銃殺された。残された青年は、そのまま曳かれるようにして戦地に赴いたのである。
翁は仕事場に戻って櫛を削った。時おり昔の客に頼まれてこうして削ることがある。仕事をしていると寂しさを紛らわすことができる。いま削っているのは鎌倉時代の櫛を模したもので、でき上がってから表に金泥で梵字を記し、裏には「南無阿弥陀仏」と入れる。本物は栂尾高山寺に蔵されていたものという。檮(いす)の木から削り出す珍しい櫛である。こういう仕事は食い扶持の足しにもなった。
仕事を終えると翁は庵を出て山道を下った。この辺りは後ろに高尾、槇尾、栂尾のいわゆる三尾を控え、秋には紅葉が美しく映えるのだが、今は葉も落ち、山は静かだった。およそ一里の道のりを歩くと、翁はいつも午後のこの時刻に訪れる場所についた。此処は東山の鳥野辺と並び、京都の古い死体捨て場として知られていたが、死骸が鳥獣に食い荒らされ骨肉散乱する様をみて、空海が寺を建立したと伝えられる。
古秋の寺はひっそりとして、紅葉の落ち葉が境内の小道に積もっていた。寺の低い石垣に囲まれた中に、小さな石仏が数多く並んでいる。赤い涎掛けをした石仏がある。涎掛けはまるで紅葉の名残のようだ。
翁は石仏たちの間に歩みを進めた。石仏は長い年月のうちにわずかの輪郭しか残さなかったが、どれも中央の供養塔を向いて静かに死者の魂を鎮めている。地三郎は自分の一生はこれらの無数の無縁仏同様、やがて悠久の時に埋もれるであろうと思う。そして知恵のことを思った。なぜ自分は知恵を守ることが出来なかったのか。
あの日の夕方、知恵は四条近くの地三郎の処に現れた。いつもは宿屋に住み込みで働いているので、家に戻るのは休みの日に限られていた。
「お爺さま、今晩直人さんが此処に来ます。来たら嵐山の渡月橋のたもとに急ぐよう伝えてください。私は逃げるのに必要な物を用意して先に行きます」知恵が切羽詰った声でいった。
「どないした、そんなに慌てて」地三郎は知恵と直人青年がその夜京都から逃げようとしていることを知らなかった。赤紙召集を逃れる方法がないものか相談されてはいたが、むしろ青年が戦地から無事戻ることを祈るよう孫娘に勧めていたのである。
「御免なさい、でももう二人で決めました。戦地にいったら無事に戻るなんて考えられまへん。宿屋に来るお客さんからもうこの戦は日本の負けだと聞きました。アメリカは秘密兵器を持っているから降参するまでそんなにかからないだろうとも聞きました。だから今夜二人で京都から逃げます。愛宕山を越えて丹波から日本海へ抜けます」孫のまなじりを決して立ち向かう姿に地三郎は只ならぬ事態を察しはしたが、それでも尚、思い止まるよう説得を試みた。
「そないなことで逃げおうせられるわけあらへん。警察は猟師らを集めて山狩りでもなんでもするやろう。見つかるに決まっとる。そやから今からでも遅うない、思い止まり」
「お爺さまには本にお世話になりました。小さい時から育ててもらって恩返しもしないままここを離れるなんて。でもいまのわたしにはこれしか方法がないんです。戦争はじきに終わるでしょう。それまできっと生き延びてみせます」知恵はそういって家を出て行った。それが孫の生きた姿を見た最後だった。
青年はその夜とうとう来なかった。冒頭述べたように丸藤の主人に見つかり、思い止まるよう説得されたのである。逃げるのは許さない、いまならまだ警察に情状酌量するよう説得できる、知恵のこともけっして悪いようにはしない云々。
知恵の銃殺は不運が重なる出来事だった。若い二人は、もし十時までに渡月橋のところで会えなければ、ひと目に付かぬよう別々に行動し、未明までに愛宕神社の境内で落ち合う約束をしていた。知恵が猟師の鉄砲に撃たれたのは、愛宕山からかなり離れた場所だった。おそらく彼女は道に迷い、別の山中に迷い込んでしまったものと思われた。直人から行動ルートを聴取した警察隊は、事情を聞いた上で捜索に出たが、他の地域を受け持った地元の猟師たちは、逃亡者の素性を知らされぬまま捜索に出た。急に呼び集められた男たちはいきり立っていた。知恵は若い猟師に見境もなく撃たれて死亡した。逃亡者が銃を手にしていると伝えられたともいうが真相はわからない。
知恵が許婚と逃げることを選んだのは、男勝りの性格に育ったからばかりではない。生き延びること、それは父親の遺言でもあった。知恵の両親は震災の時に死んだ。その時の光景は知恵の眼裏に焼きついていた。
ぐらりと来たと思う間もなく、台所の火が付近に燃え移った。あっという間に火は畳や柱に燃え移り、襖を嘗めて天井にまで達した。知恵は父親に抱かれて表に逃げた。父は知恵の肩に手を置くと「これから母さんを助けに中へ戻る。いいか、きっと生き延びるんだぞ」と言って家の中へ戻っていった。真っ赤な火が家の中を自在に這い回り、あっちへこっちへして時々黒い煙が舞い上がった。父と母はそのまま中から出てこなかった。やがて家は火の海の中に崩れ落ちた。
そういう記憶があるから知恵は、直人と「二人で生き延びよう」と決心したのである。地三郎の処へ寄ると言ったのは、大原の両親の位牌を預けることになっていたからだ。しかし直人の方には残念ながらそのような強い信念はなかった。奉公先の主人に強く言われると、それもそうかと思った。青年は震災も戦場も経験したことがなかった。戦地で遺書を書いたとき、木下直人ははじめて生きたいと痛切に思っただろう。しかしもう手遅れだった。知恵は震災時の父親の言葉を忘れることはなかった。あの夜も、彼女は「どこかでまた会える」と消え失せる意識の中で思っていた。
地三郎はいつものように石仏の中にしばらく佇んだ。こうしていると幾分気持ちが癒される。人の一生は草木と同じように目的も前提もない。生と死を隔てるものすら何もないのだ。そう思うと清々とした気分にもなる。身を捻るようにして小道の上へ枝を伸ばした柿の木の、枯葉がくるくると回り、本堂の裏手から焚火の煙がゆっくりと空へ昇ってゆく。翁はやがてもと来た道を庵へと戻った。
庵は土壁と茅葺の質素な造りだ。寒さが増し、夕暮れが迫っていた。地三郎はいろりに火を起こし、夕餉の支度に取りかかった。飯を炊き、芋汁を温める。この年になると食も細くなり、格別何を食べたいとも思わなくなった。何も食べられなくなったとき、命が絶えるのだろうと地三郎は思う。
夕餉を終えると、翁は障子を開けて縁先へ出た。眼前に奥行きのある庭が開けている。地三郎は悲しみというも愚かな諦の念で庭を眺めた。右手に竹薮があった。青年の死はすでに既知のことであったが、遺書を手にすると改めて虚しさが身にしみた。妻を亡くしたのは日露戦役の最中のことである。胸を患っていた妻の死を告げる電報を従軍先の旅順で受け取った。あれから四十年、一人息子とその妻を震災で失い、孫娘を戦時中に失った。そして今日知恵の許婚の遺書を受け取った。冷たい風が渡り、竹が戦いだ。もはや翁に伴う者は全て死に絶えた。
……その夜遅く、翁は外の声で目を覚ました。声は竹藪の方から聴こえていた。地の底から呼ぶような声である。
「直人、直人」
「直人、直人」
それは、青年の名を呼ぶ女の声であった。
布団をのけて雨戸を繰ると地三郎は息を呑んだ。初雪が来ていたのである。雪は花びらのようにくるくると舞いながら次第にその勢いを増した。
「直人、直人」
「直人、直人」
声がひときわ大きく聞こえると、突然竹薮の下から甲高い声とともに一羽の鶴が勢い良く飛び立った。幻というにはあまりにはっきりと、典雅に伸ばした両の翼の下から、細い二本の足が雪を裂いて飛び立っていった。翁は凛然として、知恵が許婚を呼びに戻ったことを悟った。
内に入る。雨戸を閉める。地三郎は手探りで行灯をつけた。橙色の明かりが灯心にともる。消えかかった囲炉裏の火を十能で掻き起こし、その前に座った。
辺りは静まり返っている。かすかに外の雪の音が聴こえる。雪は夜の底を埋めつくすように降っているのだろう。
地三郎は囲炉裏端にあった青年の遺書を手に取り、今一度読んでから、ゆっくりと火にくべた。突然炎が紙を嘗めて鬼の舌のように赤くひらめき、地三郎の横顔を移した。影が天井に揺れた。……しばらくしても、老翁の面は凍ったよう動かない。
<檮の櫛の話は、『木』白州正子著(平凡社ライブラリー)に拠った。>