あとでわかった事だけれど、その日僕は携帯電話を家に置き忘れていた。これもあとで知ったことが、台風十五号は、その日の昼過ぎふたたび北上を開始し、紀伊半島沖から志摩半島付近に上陸した。気象庁は、名古屋、岐阜、長野地方に暴風雨警戒警報を発令した。僕が車でかおりさんの工房を出た頃、松本のギャラリーでは、叔父と島田さんが首を長くして僕の帰りを待っていた。
それよりも少し前、台風の接近を告げようと僕の携帯に電話を入れた叔父は、長々と呼び出し音が続いた後、急に僕の母親が出たので驚いた。お袋は電話に出ていいものかどうか迷ったらしいが、居間のテーブルでなり続ける呼び出し音に不吉なものを感じて思い切って出てみたそうだ。それで叔父は僕が携帯を家に忘れたこと、お袋は僕が叔父の車で松川村へ向かったことを同時に知ったわけだった。
島田さんは水本かおりさんに電話を入れた。しかし繋がらなかったという。理由はわからない。そのあとの豪雨で電話の中継基地が軒並み停止したけれど、島田さんが電話を入れたのはもっと前のことだから、もしかすると、それは丁度、僕がガラス竿を吹いていてかおりさんが手伝ってくれていたときで、ストーブの前においてあった彼女の携帯が鳴ったことに僕たち二人とも気付かなかったのかもしれない。でもそれなら、履歴が残るはずだから妙といえば妙だ。
僕が帰るときに、かおりさんは天気予報を調べようとして繋がらなかったわけだが、そのときはすでに、中継基地がダウンしていたのだろう。いづれにしても、叔父と島田さんはギャラリーで僕を待ち続けた。あとで聞いた二人のその時の様子はこんな感じだったらしい。
「どうなっているんだ、最近の天気予報は。つい今朝まで台風は東海上に抜けるなんて言っていたくせに。台風は突然上陸するし、竜は携帯を忘れるし、水本さんは電話に出ないし」
「竜くんのことだからちゃんと帰ってくるでしょう」
「雨風が強くなってくれば、竜も子供じゃないから危険かどうか自分で判断して、危ないと思ったら水本さんのところに泊めてもらおうとするだろう。え、水本さんは独身か?そうか、とすると若い男を泊めるのは躊躇するかも知れんな」
「遠慮するような竜くんじゃないでしょう」
島田さんと叔父はそんなことを話していたらしい。僕が遠慮するような性格でないことは当っているが、水本さんが僕を泊めることを躊躇したなどということはない。かおりさんは僕に泊まっていくようにと勧めてくれたのだ。そのとき僕が無謀にも帰ろうと思ったのは、よく知らない所に来ていることを考慮に入れなかった僕自身の判断ミスだ。それと、正直なところ、嵐に立ち向かって車を走らせようというバカな冒険心もあった。軽率だった。
叔父たちは、僕がかおりさんのところに泊まらなかったとしても、あまりに状況がひどくなれば道路沿いに車を止めて、どこかへ避難するだろうと考えていた。夜に入り、お袋と親父が雨風の中をギャラリーに駆けつけ、「あの子は無茶なところがあるから、山中で道に迷ったのでは?」と言ったことで、叔父たちもその可能性に気が付いたのだった。
嵐の中、僕はかおりさんの工房を後にした。工房に着く直前に、曲がりくねった坂道を川沿いに下りてきたので、帰りは逆に坂を一旦上らなければならないと考えていた僕は、川沿いの道を慎重に上っていったのだが、雨と風が強まる中、どうも来た時とは別の坂を上ってしまったらしかった。しばらく行っても、来た時にあった山を下る筈の次の道に出なかった。
戻ろうにもやっと車一台が通れるような狭い道だったから、車の向きを変える場所をさがして僕はそのまま前へ車を走らせた。すぐに切り返しの出来るところがあるだろうと思ったのが甘かった。道はやがて舗装が終わり砂利道になった。すこし開けたところがあったが、そこには蜂の巣箱が幾つも置かれていて車の方向転換ができるだけの広さはなかった。風雨は激しさを増していた。
ラジオのニュースを聞くと、志摩半島に上陸した台風は、中心気圧九六〇気圧、最大風速三十メートルという強い勢力に発達しながら渥美半島を東進し、浜松辺りで進路を再び変え、天竜川を遡るようにして北上していた。台風はまさに松川村方面に向かっていたのだ。
豪雨によって各地で土砂災害が発生していた。と同時にところによっては竜巻が発生していた。「天竜川を遡る竜巻に篠田竜が巻き込まれていては世話ねえな」と一人ぐちながら、僕はなんとか切り返しの出来る場所を探してなおも前進した。川を跨ぐ橋があった。やがて道は狭隘な谷間に入り込んだり、突然狭くなったりした。
しばらく行くと、道沿いにトタン屋根の小屋があった。小屋の横にはパイプを組んで作った木材置き場があり、上に掛かっている青いビニールシートが雨風に煽られていた。それは炭焼き小屋のようだった。明かりはともっておらず、小屋の主は早々に山を下りてしまったようだった。あとから思えばそのままその小屋に避難すればよかったのだが、車の切り変えしが出来たことと、まだ残っていた冒険心から、僕はそのまま来た道を引き返した。
道がさきほどの狭隘な谷間にさしかかり、道幅が狭くなったあたりで、来た時は砂利だった道路が、泥のような状態に変わっていた。山の斜面から土砂が崩れ落ちてきていたのだ。泥道はしばらく続いた。アウディは馬力のある車だったが、次第に泥に車輪が取られるようになった。しばらく悪戦苦闘したが、やがて車は立ち往生してしまった。僕は車内灯をつけ、携帯電話が落ちてやしまいかと車内をもういちどくまなく探したが、やはり見つからなかった。今更ながらかおりさんの工房に泊めてもらわなかったことを悔やんだが、とき既に遅く、僕は台風の中、前にも後ろにも動けない状態で、何も連絡手段も持たず、車の中に取り残されてしまったのである。次第に夜の闇があたりを包み始めていた。
(続く)