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■オリジナル作品:「あなたの中にあなたはいない」(目次

「あなたの中にあなたはいない」 第一回

 僕はその日叔父の車を借りて、安曇野の北、松川村に近い山中にある、水本かおりのガラス工房へ向かっていた。叔父は松本市内で、ちいさなギャラリーを開いている。今週末から始まるガラス作品展に、彼女の器を借りることができたので、それを受け取りに行って欲しいと僕は叔父に頼まれたのだった。

 その日は、一週間前にフィリッピン沖で発生した台風十五号が本土に近づいた影響で、風が強かった。発生後北上を続けた台風は、一昨日紀伊半島沖に達したけれどそこで停滞していた。中心最大風速二五メートル、強風域の平均が六〇〇キロメートルの大型台風だ。気象庁によれば、台風はやがて東に進路を変え、上手くいけばそのまま千葉沖に抜けるということだった。ギャラリーを出る時、叔父は「作品展が始まる頃はちょうど台風一過で素晴らしい天気になるぞ」とはしゃいでいた。松本から安曇野へ行く間、時折強風に煽られたものの、僕は秋空に映える常念岳やその先に広がる北アルプスの眺望を楽しみながら車を走らせた。

 僕の実家は松本の東郊にある古い旅館で、そこから大学に通っている僕は、授業のない日や週末、叔父のギャラリーを手伝っていた。ギャラリーは市内の今町通りにあり、店名を「空(そら)」といった。大正時代に建てられた看板建築の内部をモダンに改装したもので、東京のスカイツリーと同じ年にオープンするから、それにちなんで叔父が「空の木」という名前にしようとしたら、「それはないだろう」と周りに反対され、妥協して「空(そら)」と付けたらしい。叔父の本業はバーやレストランの経営だ。アート好きが高じて一年前にその古い建物を買い、内部をギャラリーに改装したのだった。

 旅館「豊屋」社長の親父俊平と叔父浩平とは二歳違いで、互いに付かず離れずの関係を保っていた。親父は慎重派で、叔父は冒険好きだ。二人は仲が悪いとまではいかないが、性格が違いすぎるのだろう、親戚の集まり以外では滅多に顔を合わせることがなかった。市の行事の席などでたまに二人が隣り合わせると、狭い地方都市のこと、篠田兄弟がその時どうだった、こうだったという噂が酒場などで格好の話題になった。叔父は自分に子供がいないせいか、昔から僕のことを可愛がってくれた。僕は一人っ子だったから、親父と叔父の両方から暗黙の内に蝶番の役割を期待されているのだと思う。

 ギャラリーを実質的に運営しているのは島田俊之さんで、去年まで安曇野のFlussというギャラリーでキュレーターをしていたのだが、叔父がFlussのオーナーに頼み込んで「空(そら)」に来てもらった。作品展の企画は、基本的に島田さんが立案して叔父があとから追認するという仕組みだった。叔父はアート好きではあったが、キュレーションが出来るほどの知識はない。今回のガラス展も、松本の優れた作品を一同に集めようという島田さんの企画で、彼が声を掛けた作家の品々が中心だった。水本かおりは、松本では名の知れた中堅作家で、特に今日僕が借りることになっている器はとくに評判の高いものらしい。僕はその日、午後の授業が休講になったのでギャラリーに顔を出した。そうしたら、ガラス展の準備で忙しい叔父と島田さんから、水本かおりの工房へ器を受け取りに行ってくれないかと頼まれたのだ。

 僕は大学で経営工学を専攻している。三年生だがまだ卒業したあとの具体的な目標があるわけではなかった。一人っ子だったから、親が「豊屋」を継ぐことを望んでいることはよく分かっていたけれど、僕は老舗旅館経営のしがらみなどからはできるだけ自由でいたかった。それに今の時代、家族経営にとらわれるのは時代錯誤ではないかと思っていた。かといって企業に就職する気もあまりない。地元でなにか始められればよいと思っている。でもなにが自分に向いているかまだよく分からない。それを考えようと思って、とりあえずアルバイト的に叔父のギャラリーを手伝っているのである。

 僕がいま付き合っているガールフレンドは、村井由美子といって大学の同輩だ。彼女は松本市内に住む会社員の一人娘で、都市計画を専攻している。仕事や生き方に関して僕は未だ中途半端だったが、彼女は既に目標を持っていた。それは新しい街づくりだ。一年前、都市計画のゼミの一つに、電力買い取り制度を使った事業モデルを考えるというのがあって、それに参加した由美子は、旅館に複合型自然発電エネルギー・システムを導入する計画を考えて、なんとうちの豊屋をそのモデルに選んだのだった。

 彼女が豊屋へ調査に来たとき対応したのが、そのときたまたま家にいた僕だった。同じ大学に通っているということもあって、僕は丁寧に館内を案内した。由美子の計画といえば(学生の実習だから仕方ないが)空想的なもので、旅館の脇を流れる豊川をつかって小規模水力発電を行い、それに風力、太陽光発電とをミックスし、さらに、生み出した電気を貯める鉛蓄電池も設置し、商用電源も併用して、旅館専用の小規模スマートグリッド・システムをつくるというものだった。僕は彼女の計画の相談にも乗った。一応経営工学専攻だから、事業モデルの採算性を一緒に考えてあげた。いろいろ計算しても、再生可能エネルギーだけで旅館全体の電力を賄うのは無理で、ましてや電力買い取りに回すだけのエネルギーを産出できる規模ではなかったが、夜間に水力や風力で生み出した分をそれに回すということで、なんとか採算の取れるよう辻褄を合わせた。ゼミが終わってからも僕らは時々キャンパスで会うようになった。彼女は小規模水力発電の勉強を通して、山岳と海洋とを繋ぐ河川を中心にその流域を一つの纏まりと考える流域思想に興味を覚えているといった。僕たちは安曇野や白馬の方へ水系の調査などにも出かけた。

 そんな由美子と一週間前に喧嘩したのは、ほんの些細なことが始まりだった。いつもはすぐ仲直りするのだが、今回は僕のほうがへそを曲げて(僕のほうが正論だと思ったから)由美子の方から謝るべきだと連絡を入れなかった。どれだけ放っておけば彼女が降参するかという意地悪な気持ちもあった。相手に甘えていることは内心分かっていた。しかし付き合い始めてからずっとしっかりものの由美子に引け目を感じていた僕は、反抗的態度で逆にその複雑な心持を相手に伝えようとしていたのだ。そんなことで気持ちが伝わるはずがないにも拘わらず。そういうわけでここ一週間ばかり、僕は彼女と会っていないのだった。

(続く)
「あなたの中にあなたはいない」 第一回(2014年07月17日公開) |目次コメント(0)

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