『戦争画リターンズ 藤田嗣治とアッツ島の花々』平山周吉著(芸術新聞社、2015)という本を興味深く読んだ。藤田嗣治の「アッツ島玉砕」という画について様々な視点から論じたもので、本の帯には、
(引用開始)
名画「アッツ島玉砕」が啓示する昭和史
凄絶な玉砕シーンに、藤田嗣治が丹念に描き込んだ「死者の傍らに咲いている花」はいったい何を語りかけるのか? 英霊たちが眠る、厳寒のアッツ島には終戦七十年の秘密が冷凍保存されている。
(引用終了)
とある。平山氏は元出版社の編集者で『江藤淳は甦える』(新潮社、2019)、『満洲国グランドホテル』(芸術新聞社、2022)などの著書がある。先日『満洲国グランドホテル』を読んでいたらあとがきにこの本のことが書いてあったので、同書を中断してこちらを先に読んだ。
藤田嗣治についてはこれまで、
『藤田嗣治 「異邦人」の生涯』近藤史人著(講談社、2002)
『藤田嗣治 パリからの恋文』湯原かの子著(新潮社、2006)
『生誕120年 藤田嗣治展』(東京国立近代美術館、2006)
『藤田嗣治 手しごとの家』林洋子著(集英社新書、2009)
『藤田嗣治 本のしごと』林洋子著(集英社新書、2011)
『FOUJITA』(小栗康平監督、2015)
『生誕130年 藤田嗣治展』(府中美術館、2016)
『藤田嗣治 手紙の森へ』林洋子著(集英社新書、2018)
と評論を読み絵画・映画を観てきた。藤田の作品のなかでも戦争画とくに「アッツ島玉砕」は異彩を放っており、以前からこの画について論じたものを読みたかった。同書の目次は次の通り。
第一章 敬礼される絵画「アッツ島玉砕」
第二章 「アッツ島玉砕」を凝視する
第三章 オカッパを切った藤田嗣治の坊主頭時代
第四章 英霊の島アッツへ
第五章 花々の島アッツ
第六章 戦争画が還ってくる日
あとがき
この本で平山氏は、藤田の戦争画についての是非を論ずるのではなく、会田誠の作品から入り、「アッツ島玉砕」が描かれた時代と人々の対応を追い、藤田のその時々の思いを綴り、画の右隅の花を論じ、アッツ島の実際を描き、戦後における戦争画の返還を追う。そして、「アッツ島玉砕」が昭和45年にアメリカから「無期限貸与」という形で返還されたこと、戦後日本人は一度も戦争画展を開いていないことを記した上で、
(引用開始)
フジタの「アッツ島玉砕」は、フジタの祖国フランスでも展観され、かつての敵国アメリカやその他の国々を回って、世界の人々の目に曝されるべき、またそれに値する作品である。敗戦を機に、藤田は「アッツ島玉砕」のサインを「二六〇三 嗣治」から「1943 T.Fujita」に書き直した。戦争画はいまだ忌まわしき皇紀の記憶の中に封印されている。世界標準である西暦の世界からは置き去りにされている。「アッツ島玉砕」は文化使節として世界に発信され、しかるべき評価と批判を受けることが大事なのではないだろうか。その時、無期限貸与のままで半永久的に凍結されている日本人の歴史観は解凍される。「戦争画リターンズ」はそれからである。
(引用終了)
<同書 415ページ>
と書く。同画及び戦後日本についての核心を突く主張だ。
思えばそもそも日本人は自らの手で先の戦争を総括してこなかった。GHQに戦犯を裁いて貰い、天皇と国民はむしろ戦争の被害者だったとしてきた。戦争に熱心だったのは同じ天皇と国民の多くだったにも関らず。戦後80年、そろそろ我々は(戦争画の展覧会などを契機として)そのような考えを見直すべき時期に来ていると思う。