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■オリジナル作品:「百花深処」(目次

「百花深処」 <天道思想による統治>

 前回<武士の再興>の項で、新井白石と荻生徂徠について論じ、“二人は儒学者だったけれど幕府お抱えの林家だったわけではないから、徳川朱子学から一歩進んで、「天命」=「天道(自然現象)」という論理展開を考えて欲しかった。将軍と朝廷との間に、「天道」という列島中世のユニークな信仰をワンクッション入れて、そこから武士の再興を考えて貰いたかった。そうすれば、列島の内側から、西洋の近代国家にも伍してゆけるような統治理論が誕生していたかもしれない”と書いたが、今回はその中世に戻り、天道思想による統治の実態を見てみたい。

 <天道思想について>の項でみたように、戦国時代の北条五代(早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直)は、天道思想をよく実践した大名として知られている。最近(2017年9月)出版された『北条氏康』伊東潤・板嶋恒明共著(PHP新書)は、その三代目氏康(1515−1571)についての評伝。副題には「関東に王道楽土を築いた男」とある。概要把握のために、紹介文を本の帯表紙、カバー表紙裏、帯裏表紙の順で引用しよう。

(引用開始)

謙信、信玄がもっとも恐れた戦国最強の大名<江戸の泰平の礎となった理想的内政 八万の大軍を八千で破った天才的戦略>

奇妙な方法で領国を拡大し続けている大名がいた。信長の「天下布武」とは真逆の「禄壽應穏」や「四公六民」といった旗印を掲げ、民との対話を重視し、その声を聞き入れ、彼らの命と財産を守ってやることで大国にのし上がった北条氏である。(第七章より抜粋)
その北条五代の中でも傑出した事績を上げ、北条氏を躍進させた三代目北条氏康。河越合戦における天才的軍略、民を重視する理想的内政などの卓越した手腕は、同時代を生きた謙信、信玄が最も恐れたものであった。
江戸の泰平を築いた、稀代の名将の素顔を生き生きと描く意欲作!

戦国時代に北条氏があったからこそ、われわれは人間の「善」や「正義」を信じられるし、あの時代にも民主主義に近い政治形態があったのだと思うと救われる気がする。(第七章より抜粋)

(引用終了)
<引用者によって括弧などを追加>

著者の伊藤潤氏は「おわりに」の中で、氏康の統治について次のように纏めておられる。

(引用開始)

「戦国時代で最強の大名はだれか」と問われると、私は迷わず「北条氏康」と答えることにしている。
 確かに氏康は、軍略なら武田信玄、局地戦闘(用兵術)なら上杉謙信、奇襲戦と侵略戦なら織田信長、攻城戦なら豊臣秀吉、野戦なら徳川家康に劣るだろう。だが氏康には、彼らをはるかに凌駕し、戦国時代最強の大名と呼ばれるに値する能力がある。
 それが領国統治能力だ。
 すでに本文で述べてきたことだが、ここであらためて氏康の行ったことをまとめてみたい(二代氏綱や四代氏政の事績と重複するものもあるが、創出段階と実現段階があるので、あえて記載する)。

・税制改革による確実な収入の確保
・検地と所領役帳による諸役賦課の平等な負担
・目安箱の設置による民衆の声の吸い上げ
・評定衆と奉公人による民主的裁判制度
・物惣に囲まれた城郭都市の構築(実現は四代氏政期)
・民衆も避難させることのできる拠点城の構築
・支城主と郡代によるシステマチックな分国統治方式
・支城ネットワークによる防衛網の構築
・撰銭禁止令による貨幣政策
・陸運(問屋制・伝馬制)の充実と河川舟運の整備と掌握
・職人の地位向上策と支配体制への組み入れ
・年貢の納法や枡の統一
・水軍と水軍城の強化による商業船の航行の安全確保

 こうしたことは、今となっては当たり前のように思われがちである。また「ほかの大名も、大なり小なり同じようなことをやっていたのだろう」と思われるかもしれない。だが、その「大なり小なり同じようなこと」を裏付ける史料が少ないのだ。 
 つまり、一概には言いきれないが、こうしたことができていなかった可能性はある。
 例えば織田信長の領国統治といったものは、北条氏よりも研究が進んでいない。というのも、残存史料がすくなくて、よく分かっていないからだ。こうしたことからしても、戦国時代における北条五代、とくに氏康の事績は計り知れない。

(引用終了)
<同書203−205ページ(フリガナ省略)>

 天道思想とは、

(一)人間の運命をうむをいわさず決定する摂理
(二)神仏を等価とする
(三)世俗道徳の実践を促す
(四)外面よりも内面の倫理こそが天道に通じる
(五)太陽や月をはじめとする天体の運行に存在を実感できる
(六)鎌倉時代には日本人の自家薬籠中のものであった
(七)信仰を内面の問題とし他者への表明は不要
(八)その摂理は人間の理解を超えたものである

といった考え方を指す(<天道思想について>)。伊藤氏は、“氏康がよく用いる「天道」という言葉は、「領民との共存が図れる理想国家へ至るための天の指し示す道」と解釈できるだろう”(119ページ)としている。氏康には、「天道」=「自然現象」=「民意」といった<新しい思想>の萌芽もあったように思える。

 今から見て、当時の氏康の統治に欠けているものは何か。それは、「世界から見た列島という視点」と「合理的な科学思想」の二つであろう。といってもそれは、列島の父性(国家統治能力)の源泉、

(1) 騎馬文化=中世武士思想のルーツ
(2) 乗船文化=武士思想の一側面
(3) 漢字文化=律令体制の確立
(4) 西洋文化=キリスト教と合理思想

において(4)が齎すもので、氏康が生きていた時代には列島にそれはまだ十分入ってきていない(種子島への鉄砲・火薬伝来は1543年、宣教師ザビエルの鹿児島における天主教伝道は1549年)。

 <新しい思想>の項で記した、近世における理想的な統治システムは、

(い)民意を上手く掬い上げる為に士農工商各層代表を選出する
(ろ)効率向上の為に地方分権を推し進める
(は)「家(イエ)」制度を導入する
(に)防衛力の強化、交易ルールの整備を行う
(ほ)法の整備、中央と地方政治の役割分担を定める
(へ)科学を発展させ、世界標準の考え方に基づいた外交を展開する
(と)宗教の自由を保障する

といった内容だが、伊東氏のまとめと比較すると、氏康は、

(ろ)効率向上の為に地方分権を推し進める
(に)防衛力の強化、交易ルールの整備を行う
(ほ)法の整備、中央と地方政治の役割分担を定める
(と)宗教の自由を保障する

についてはすでに着手している。もし氏康が織田信長(1534−1582)と同じように(4)に接することが出来ていたら、

(い)民意を上手く掬い上げる為に士農工商各層代表を選出する
(は)「家(イエ)」制度を導入する
(へ)科学を発展させ、世界標準の考え方に基づいた外交を展開する

についてもその統治視野に入ってきたのではないだろうか。
「百花深処」 <天道思想による統治>(2018年06月03日公開) |目次コメント(0)

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